虹の橋へ・・
2021年(令和3年)11月14日の日曜日、我が家のモコ(パグ:女の子)が15歳の犬生を終えました。
夫が休みの日曜日に、家族が見守るなか自宅で最期を迎え、踏ん張るように右前脚を噛み、
目を見開いて、うめき声をあげながら旅立っていきました。
きっと今では虹の橋のどこかで、いびきかいて寝てるんじゃないかなっと思っています。
虹の橋とは?
虹の橋は、ペットの死を意味する比喩的・婉曲的な表現。同名の「虹の橋」(rainbow bridge)という作者不明の詩文に基づいた表現。同詩の「先立ったペットの魂が天国に向かうために渡る通り道」という記述を典拠としている。
詩文「虹の橋」は、亡くなった愛犬や愛猫の魂は、虹の橋を渡って天国へ昇るが、その道を渡らず飼い主を待っている、やがて飼い主が訪れてから連れ立って天国へ向かおうとする、といった趣旨の話である。最近では日本の愛犬家や愛猫家の間で、最愛のペットの死を「虹の橋を渡る」と表現するような例が増えつつある。
Weblio辞書より https://www.weblio.jp/content/虹の橋
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2006年9月22日に生まれたモコ・・
私の父が亡くなった9月22日に生まれたモコは、父より長く家族でいてくれました。
亡くなるまで2年間の様子
日付 | できごと |
2020.09.05 | 「皮膚の肥満脂肪腫」(悪性腫瘍)発覚 |
2020.09.11 | オペ 全身麻酔 上記腫瘍と軟口蓋切除も |
2020.09.22 | 14歳 バースデー |
2021.09.11 | オペ 局所麻酔 左足部のイボ取り |
2021.09.16 | 膀胱炎 |
2021.09.22 | 15歳 バースデー |
2021.11.12 | 食欲不振 |
2021.11.14 | 虹の橋へ・・ |
私が精神病んだころから、頻尿と尿もれがつづきオムツ生活だったので、ガンになったときを思うと良くがんばったなと思う。
がんばって生きたね、モコ。
それなのにモコを介護するのがしんどくなって、「老犬 介護 疲れた」って無意識に検索してて、
それなのにモコがいなくなったら、悲しくて悲しくて仕方なかった。
ほらね、いまこうして書いてる時にも涙は出てくるんだから。
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老犬になって夜中に吠えることも増えきて、そんな時は「宇津救命丸が効く」って出てて、
効果があったかどうかは・・わからないけれど、少しは良かったのかな?
悪化しなかった気がする・・
ワンコ用のサプリも良いけれど、赤ちゃん用で尚且つロングセラーの商品には信頼感があるもんね。
効いてることを願うのが、私の希望だったのかもしれないけれど
老犬介護で疲れた方へ
今回、モコの死についてお話ししようと思ったのは、愛犬の介護で疲れている方に届けたい思いがあったからです。
オムツ着用になったのは4年前、最後の数ヶ月は立ち上がることも出来なくなって、
年齢的にも治療するより緩和とか延命とかになるでしょう。
一緒に暮らしてきたワンコが、介護を通じて「モンスター」みたいになっていきました。
認知症らしき症状も出ていました。
当然言葉は通じないし、手当たり次第「察する」しかありません。
食欲オバケと化して、やたらと吠えたり、お世話中に急に噛んだり・・・
ほんとに介護って引き際が難しい。
あとどのくらい、この生活が待っているんだろうと思うと、気が遠くなりました。
人にもワンコにも「生きる権利」があるように「死ぬ権利」の見極めを選べたら良いのにと、
極論を考えるようになっていました。
安楽死も選択肢のひとつ
そうです、考えていました安楽死のこと。
もちろん「最期までお世話する」それがベストだと思います。
でも本当に飼い主が心身疲労困憊になったり、ワンコが凶暴化したとしても?
それでも頑なに、看取ることが正義!みたいなのは、どうなんだろうと・・
とはいえ「病気などで苦しんでいるかどうか」が、大前提です。
モコは苦しんではいない(というふうに見える)、楽しいかどうかも分からない。
ほかの人が下せるものではないような気がしたのです。
自分も含め家族が介護で疲労困憊になったときや、モコが苦しんでいると思われるときに、
安楽死を選択するのは100%の悪ではないって思ったら、不思議なくらいに気持ちが軽くなりました。
日々の介護がラクになるわけでは、けっしてないけれど、押さえつけられてたことを横に置けた感じでした。
私のなかでは、お守りみたいな位置づけでした。
最後の砦の存在を知るだけで、違うのです。
- でも切り札がある
- それは私が持っている
- だから大丈夫
寝てる姿は可愛いし、イビキも愛おしいまま・・
だけど四六時中、一緒にいるとノイローゼになりそう。
その繰り返しでした。
安楽死を検討することは、飼い主失格とか、そんなことはないです。
飼い主失格であれば、飼育放棄すると思います。
安楽死は、老犬のことを考えた見送り方の、ひとつです。
それを受け入れたら、がんじがらめの状態から、少しは抜け出せませんか?
実際、それを選ぶ状況になるかは、ひとそれぞれですが
けっして安楽死を考えることは、悪いことではないと思います。
これは過去の自分が、見つけたかった言葉なのかもしれません。
最期のとき
そんな経緯がありつつも、モコの最期を自宅で見届けられました。
亡くなる2日前から食欲がなくなり、水もあまり飲まなくなり、
少し食べたり飲んだりしては吐き、下痢もして、体の中を空っぽにしていく姿。
何も出ないだろうに、えづいて・・
もう、いよいよなんだなって心づもりが、イヤでも増してくるんですよね。
病院に連れて行ってもそれ自体負担になりそうだし、
家で落ち着いた環境でいるのがいい気がしました。
そして冒頭に書いたように、犬生を全うし、モコは旅立ちました。
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亡くなる前日に添い寝して一晩過ごせたのは、悔いが残らないようにモコがしてくれたのかなー、と今では思います。
いつかママが虹の橋に行ったら、モコを探すね。
また一緒に暮らしたいな・・
ありがとうね。
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