「ついのすみか」とは、最後に安住する所。これから死ぬまで住むべき所。
goo辞書より https://dictionary.goo.ne.jp/word/ついのすみか/
「終の棲家(住処)」として毎月ローンを支払い、退職金でローンを完済する前提で、現在の家に越してきたのは2014年のことだ。
駅から平坦だし、生活に不便は全くない。
年配になってからの日々の暮らしも、立地的に困ることは無さそうだ。
子どもたちが息抜きがてらに泊まる際の部屋も、ある。
これこそ理想的だと思っていた。
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今は夫と母と実母の3人で暮らしているが、いずれ実母はお迎えが来るだろう。
そうなったら、夫と2人、贅沢なスペースを楽しみながら生活することになる。
それはそれで楽しいだろうなと思う。
夫と私で、住み慣れた我が家で余生を過ごす。
家庭菜園をもっと本格的にやるのも良し、各々が部屋で気ままに過ごしたって気兼ねすることもない。
子どもらにとっても、実家=どうしようもなくなった時に帰る場所があるという安心感は、何ごとにも勝るはず!なんて思っていた。
が・・ここ最近、考えが広がり、別の選択肢も出てきた。
理想のちょっと先には、悩ましい壁があった。
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それは、この家が「負の遺産」になるのではないか?ということ・・
家を遺すことで、夫と私が亡き後、子どもたちがそれを相続するわけだ。
息子はチャランポランタイプ、娘はしっかりタイプという相反するふたりが、揉める様子が目に浮かぶので「負の遺産説」が濃厚になってしまう。
売却して現金化するのだって・・ああ、もうすでに気が滅入る事案ではないか?
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家自体もそうだが、モノも息子と娘を悩ますだろう。
実際、夫のテリトリーに置いてあるモノは、私には不要に見えても夫からすれば重要なのだ。
例えば、私からしたら夫の「工具」であり、夫からしたら私の「布や毛糸」と言う具合に。
うーん、モノは元気なうちに片付ければ問題ないはずではあるけれど、なかなかこれが難しかったりする。
8年前に今の家に引っ越した際にも、驚くような量のモノが出てきた。
ひっそりと身を潜めていたかのようなそれらと、10年ぶりの再会を果たしたりするのだから。
その引っ越しを経て思うことは、「引っ越しってデトックス」なのではないかな?
強制的に、要・不要を決断し、身軽になって新しい生活をスタートさせる絶好の機会なんだということ。
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「終の棲家(住処)」であると頑なに思ってたこの家に、しばられてはならないような気がしている。
身軽になって夫と2人、ちょっと狭いかな?くらいの住まいで、モノを増やさず暮らしていく。
お互いの部屋と、一緒に食事をするスペースがあれば十分なのだ。
いまどきの「丁寧な暮らし」的な雰囲気は持ち合わせていないけれど、場所やモノに囚われずに老後を過ごす方が、ベストなんじゃないかと思ったりもする。
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子どもたちが泊まりにくるスペースがなくなるのは、正直さびしくなるけれど。
息子と娘がそれぞれ家庭を持つかは分からないが、さすがに40代くらいになったら泊まり目的で来ないよなあとも思う。
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ちなみに、老いた先に子どもら世帯と同居したいとか、そういう気持ちは持ち合わせてはない。
ほどよい距離を保っていてこそ良好な関係が築けると、母と同居して体感しているから。
夫が定年退職のタイミングや、母にお迎えが来るなどの節目で、どこかに引っ越すのも有り。
とにかく選択肢が増えるのは、執着心が薄まった効果なのだから、答えを急いで出す必要もないわけである。
まだまだ先のような、片足突っ込んでいるような老後を気にしつつ・・
今を楽しんでいきたいもんです。
読んだのはかなり前ですが、書籍があります⬇︎